粋と辛口の極致!北の富士勝昭の素顔と舞の海が明かす伝説の裏側
北 の 富士という稀代の巨星が角界に残した足跡は、歳月が流れても決して色褪せない。両国国技館の吊り屋根の下、立ち上る熱気の中にあの粋で洒落た着物姿と独特の低音ボイスを思い浮かべるファンは今も多い。激動の昭和から平成、令和へと移り変わる大相撲の歴史において、彼ほど「華のある横綱」であり、同時に「本音で愛された解説者」が他にいただろうか。土俵の厳しさを骨の髄まで知り抜いていたからこそ、その言葉にはいかなる飾りも嘘もなかった。
テレビ画面から流れるぼやき節にクスリと笑い、直後に繰り出される鋭い技術論にハッと息をのむ——多くの相撲ファンにとって北 の 富士の声は、本場所の夕方を彩る特別な日常そのものだった。第52代横綱・北の富士勝昭。現役時代はスピードと豪快さを併せ持つ取り口で一世を風靡し、引退後は師匠として不世出のウルフこと千代の富士貢を育て上げた。さらに解説者としては、忖度や建前がはびこる現代メディアの空気を軽やかに打ち破ってみせた。彼が命を燃やして愛した大相撲の真髄に迫る。
粋と色気、第52代横綱「北の富士勝昭」が駆け抜けた栄光の土俵
北海道の旭川から上京し、名門・出羽海部屋の門を叩いた少年は、やがて角界の頂点へと駆け上がった。恵まれた体躯と天性の運動神経、そして何より土俵際で見せるしなやかな身のこなし。1967年に九重部屋の独立劇という波乱を経験しながらも、昭和45年(1970年)初場所後、盟友であり最大のライバルでもあった玉の海とともに第52代横綱へと昇進を果たす。
北の富士の相撲は、速攻の寄り調子と左前褌を引いての一気の攻めが真骨頂だった。通算10回の幕内最高優勝。数字以上のインパクトを残したのは、その立ち振る舞いから漂う圧倒的な色気である。土俵入りのせり上がりで見せる引き締まった肉体美、土俵を降りた後のスマートな私服姿。従来の相撲取りが持っていた無骨なイメージを鮮やかに塗り替え、「夜の帝王」の異名をとるほど銀座の街でも浮名を流した。豪快に遊び、土俵の上では泥臭く勝つ。昭和の粋を一身に体現したヒーローだった。
千代の富士貢を育てた名伯楽の眼力と師弟の強烈な絆
現役引退後、九重親方となった北の富士勝昭のもう一つの金字塔が、弟子の育成である。肩の脱臼癖に苦しみ、軽量で伸び悩んでいた若き日の千代の富士貢の素質を見抜き、筋肉の鎧をまとわせる徹底的な稽古を課したエピソードはあまりに名高い。
「ウルフ、腕立て伏せをやれ。筋肉で関節を固めるんだ」
師匠の情熱と弟子の狂気的な努力が交差した瞬間、大相撲の歴史は大きく動いた。千代の富士は前人未到の53連勝を記録し、国民栄誉賞を受賞する昭和最後の大横綱へと登り詰める。さらに北勝海(現・日本相撲協会理事長八角親方)をも横綱に育て上げ、一時代を築いた。師弟関係について生前、北の富士は照れ臭そうに「俺は何も特別なことは教えていない。あいつらが勝手に強くなっただけだ」と語っていたが、そこには弟子への絶大な敬意と、指導者としての揺るぎない矜持が宿っていた。
NHK大相撲中継を変えた辛口解説の裏側と舞の海秀平との名コンビ秘話
親方を後進に譲った後、主戦場となったのがNHK大相撲中継の解説席だった。北の富士の解説スタイルは、従来の型にはまったスポーツ解説の枠組みを根底から覆した。「あんな相撲を取っちゃダメだよ」「今日の一番は見ていてあくびが出たね」といった歯に衣着せぬ辛口発言。しかし、その根底には力士に対する深い愛情が常に脈打っていた。
中でも視聴者を釘付けにしたのが、解説席で隣に座る舞の海秀平との絶妙な掛け合いだ。知性派として小兵の技術論を細かく展開する舞の海に対し、北の富士が「舞の海さん、能書きはいいからさ」と苦笑交じりに割って入る。このコントのようなテンポと緊張感は、計算された演出ではない。放送前、控室での何気ない雑談の延長線上にあの空気が生まれていたと関係者は証言する。
舞の海が「横綱、あの立ち合いの駆け引きはどう見ましたか」と水を向ければ、「駆け引きなんて格好いいもんじゃない、ただビビッて立てなかっただけだろう」とバッサリ切り捨てる。視聴者はその痛快さに膝を打ち、大相撲の奥深さを知った。元横綱と元小結という立場の違い、そして互いへの厚い信頼があるからこそ成立した、黄金期のNHK放送席における奇跡のアンサンブルだった。
忖度なしの美学!現代のスポーツ解説が失った「大人の言葉」
北の富士の言葉がなぜこれほどまでにファンの胸を打ったのか。それは日本相撲協会や現役力士への過剰な配慮を一切排除し、徹底して「ファンの目線」に立ち続けたからに他ならない。
立ち合いの変化で安易に白星を拾う大関には容赦なく苦言を呈し、土俵上で精彩を欠く横綱には「休場したほうが本人のため」と公然と言い放った。時に放送席が凍りつくような発言であっても、決して品格を失わなかったのは、北の富士自身が横綱の重責と孤独を誰よりも知っていたからだ。「看板力士は客を呼んでナンボ」「お金を払って見に来てくれるファンに失礼な相撲は見せられない」というプロ意識。言葉を濁し、無難なコメントに終始しがちな昨今のスポーツ中継において、彼の放つ一言ひと言は、失われつつある「大人の責任ある言葉」そのものだった。
ABEMA世代から両国国技館の常連まで魅了し続けたダンディズム
伝統的な相撲ファンだけでなく、ABEMAなどを通じて新しく大相撲に触れた若い世代にとっても、北の富士の存在感は際立っていた。SNS上では、場所中の彼のコメントがリアルタイムでトレンド入りし、「北の富士節」を心待ちにする若者が急増した。年配のファンには往年のダンディな大横綱として、デジタルネイティブ世代には「最高にロックなおじいちゃん」として愛されたのだ。
歌手としてレコードをリリースした過去を持ち、流行のファッションをさらりと着こなす。両国国技館の通路を颯爽と歩く姿は、高齢になっても絵画のように様になっていた。相撲を神聖視しすぎて堅苦しくするのではなく、極上のエンターテインメントとして楽しむ姿勢。その間口の広さこそが、世代の壁を超えて人々を惹きつけた最大の引力だった。
土俵に刻んだ粋な生き様——北の富士が遺した大相撲の未来図
土俵の上で輝き、弟子を育て、放送席から角界に熱い風を送り続けた北の富士勝昭。彼が遺したものは、単なる優勝記録や名言の数々にとどまらない。それは、「相撲道とはかくも激しく、美しく、粋なものである」という生き様そのものの提示だった。
新しい世代の力士たちが次々と台頭し、土俵の景色が目まぐるしく移り変わる現代。解説席にあのダンディな姿はなくとも、館内に響く拍子木の音や熱戦の砂煙の中に、ファンの記憶にある北の富士の笑顔は確かに生き続けている。妥協を許さず、情に厚く、どこまでも洒落ていた男。彼が愛した大相撲の熱気は、今も土俵の上で脈々と受け継がれている。 (出典: 北 の 富士(Yahoo!ニュース))